「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、
聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」
(ヨハネによる福音書7章37節後半~38節)
誰もが人生を生きるとき、自分ではどうしようもない心の飢え渇きを覚えることがあるのではないでしょうか。その飢え渇きを真実に癒してくれるものが見つからず、わたしたちは、また苦しみ悩みます。
主イエス・キリストは、「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい」と言われます。この世の何ものをもってしても満たされない飢え渇きを抱えて生きるわたしたちを、主イエスはご自身のもとへと招き続けていてくださいます。
ぜひ、教会の礼拝にいらしてください。
2026年7月5日
聖霊降臨節第7主日礼拝
招 詞 詩編30編5-6節
讃 詠 546
主の祈り
交読詩編 3編2-9節
讃 美 歌 68
聖 書 旧約 イザヤ書55章6-7節
新約 ルカによる福音書15章11-32節
祈 祷
讃 美 歌 217 (聖歌隊)
日本基督教団信仰告白
説 教 「あなたを待っている神」
七條 真明 牧師
祈 祷
讃 美 歌 239
聖 餐
讃 美 歌 205
献 金
感謝祈祷
頌 栄 542
祝 祷
後 奏
◆次週 聖霊降臨節第8主日礼拝(7/12)
説 教:「どんなに小さな信仰でも」
七條真明 牧師
聖 書:申命記7章6-8節
ルカによる福音書17章1-10節
讃美歌:546、27、358、329、541
招 詞:イザヤ書43章1節
交読詩編:詩編84編2-13節
【 聖 書 】
旧約 イザヤ書55章6-7節
6 主を尋ね求めよ、見いだしうるときに。呼び求めよ、近くにいますうちに。
7 神に逆らう者はその道を離れ/悪を行う者はそのたくらみを捨てよ。主に立ち帰るならば、主は憐れんでくださる。わたしたちの神に立ち帰るならば/豊かに赦してくださる。
新約 ルカによる福音書15章11-32節
11 また、イエスは言われた。「ある人に息子が二人いた。
12 弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。それで、父親は財産を二人に分けてやった。
13 何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄使いしてしまった。
14 何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。
15 それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。
16 彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。
17 そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。
18 ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。
19 もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』
20 そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。
21 息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』
22 しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。
23 それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。
24 この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』そして、祝宴を始めた。
25 ところで、兄の方は畑にいたが、家の近くに来ると、音楽や踊りのざわめきが聞こえてきた。
26 そこで、僕の一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。
27 僕は言った。『弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたというので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです。』
28 兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた。
29 しかし、兄は父親に言った。『このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。
30 ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。』
31 すると、父親は言った。『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。
32 だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。なくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」
