はっきり知られているように…

          コリントの信徒への手紙一 第1312

 

 

 雄大な自然の風景に感動を覚えるときがあります。また、広大な宇宙に関わる話に大きな時の流れを感じさせられることがあります。しかし、そこで同時に、限られた時を生きる人間というもの、自分の存在とその人生の意味を問わずにはおれなくなる。そのようなときがあるかもしれません。

 若き日の私も、その空しさに耐えかねて、教会の門をくぐりました。そこで知ったのは、自分が「はっきり知られている」ということであったと思います。立派な人間として、などということではありません。罪人(つみびと)であるひとりの人間として、です。けれども、そのような自分を、自分が知る以上に知っておられる神さまが、愛をもって、赦しをもって、「来なさい」とお招きくださる。そのことを知った。

信仰は、自分が知られていることを知るところに始まります。「生きよ」と今日も呼びかけてくださる神がおられることを知る。多くの方に、その信仰の世界を知っていただきたいと願っています。

 

                            鎌ヶ谷教会牧師 七條真明